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2. 因幡堂を舞台にした狂言

まず、因幡堂を舞台にして作られている狂言の内容・作柄等を確認しておきたい。

何と言っても、この寺院の名称をそのまま曲名に用いた「因幡堂」なる狂言が存在するということは、本稿のテーマにとって重要な意味を持つ。現行の本狂言において、実在する固有の寺院名を単独で曲名に用いた例は他にないからである。あえて言えば、「八尾」という狂言名が八尾地蔵の省略形と考えられる(注1)ので、それを安置する大阪府八尾市の常光寺のことをさしているということになろうか。しかし、通常の認識としては、この曲名から固有の寺院が連想されることは少ないであろう。そのうえ「八尾」は、「因幡堂」のようにその境内を舞台としたものではなく、八尾地蔵そのものが登場するわけでもなく、手紙の差出人としてせりふに出てくるだけなので、扱いの比重がまるでちがうと言わねばならない。

このほか番外曲や廃曲を入れても、寺院名を単独で用いた例は見当たらず、「清水座頭」(清水寺)、「鞍馬参り」(鞍馬寺)、「竹生島参り」(竹生島弁財天)など、他の言葉と合成して名付けられた曲名がいくつかある程度である。また、寺院に限定せず神社にまで枠を広げても、「西宮参り」(西宮神社)、「湊川参り」(湊川神社)などがあるだけで、単独で用いた例は見いだしがたい(注2)。しかも、これらはさほどポピュラーな曲でもない。因幡堂だけが特別な存在なのである。狂言と因幡堂との間に何か強いつながりがあるのではないかという予測が、まずは成り立つであろう。

さて、狂言「因幡堂」は、大蔵流・和泉流・鷺流の各流にあり、大酒飲みの妻と離婚して、新しい妻を娶ろうとする男の話である。実家に帰った妻に離縁状を出し、自分は因幡堂の薬師如来に妻乞いをする。これを知った妻は腹を立てて因幡堂へ行き、通夜をしている夫に、あたかも仏による夢のお告げのごとく「西門に立った女を妻にせよ」と言い置いて、頭から衣をかぶった姿で立つ。男は仏のお告げと信じて連れ帰り、祝言の盃事ののち被きを取って仰天するという内容で、各流大同小異である。

この曲は、大蔵流最古の『虎明本』、和泉流最古の『天理本』をはじめとして、両流各種台本に収録されており、近世初期以前に成立して廃絶されることなく現在まで上演されてきたことがわかる。ただし、鷺流の場合は最古の『保教本』に収録されていず、幕末の『賢通本』まで待たねばならない。その他、『狂言記(外五十番)』にも収録されている。

一方、天正年間の奥書を有する『天正狂言本』には入っていず、それ以前の上演記録も見いだせないので、室町時代の成立かどうかの確認はできない。しかし、狂言の場合、上演はされているのに曲名の記録がないことが中世においてはむしろ普通であるし、そもそも狂言の上演そのものが記録上無視されることも多かったので、記録がないからと言って、室町時代から存在した可能性がまったくないとは言えない。むしろ複数の流儀において近世初期の台本に収録されているのだから、室町時代成立の可能性を含んで考えておくべきであろう。

また、「鬼瓦」も各流にある狂言で、『虎明本』『天理本』『保教本』すべてに収録されており、『狂言記(外五十番)』にも入っている。長期在京して訴訟がかなった遠国の者が帰郷するにあたり、因幡堂へお礼参りに行くと、御堂の鬼瓦が国元の妻によく似ているので、なつかしがって泣き出すという内容。ただし、鷺流だけは因幡堂ではなくて、六角堂へ参詣する。

それ以外の「仏師」「六地蔵」「金津」は類型的な作品群で、都へ仏像を買い求めに来た田舎者に、人間が扮した偽仏を売り付けるという共通のパターンで、できあがった仏を渡す場所が因幡堂の境内という設定になっている。これらの曲もそれぞれ各流最古の前掲台本に収録されている。ただし、やはり鷺流では場所が異なり、「仏師」は誓願寺で、「六地蔵」は六角堂である。また、「金津」にいたっ.ては田舎者を待たせておくだけで、とくに寺院の境内ではない。これは和泉流も同様なので、「金津」において因幡堂を用いるのは大蔵流のみなのである。したがって、因幡堂と最も深い関係にあるのは、作品の上で見る限り、大蔵流であるということになる。

また、鷺流の狂言で因幡堂を舞台としているのは、その名を曲名に用いた「因幡堂」のみであるという点も見逃すわけにいかない。それもこの曲はかなりおくれて同流のレパートリーに入ったと判断できるわけだから、鷺流と因幡堂の結び付きは薄いと見なければなるまい。元来はほとんど関係がなかったと言ってもよさそうである。

さらには、四種ある狂言記類(正・続・拾遺・外)では、因幡堂を素材にした狂言のすべてが『外五十番』に収録されているというのも気になる。池田広司『古狂言台本の発達に関しての書誌的研究』(風間書房・昭42)によれば、諸本比較検討の結果、『外五十番』は「筋立てやせりふもかなり自由であった固定前の大蔵流や大蔵の弟子であった三宅家の町風の台本に拠ったものではないか」という。やはり、ここでも大蔵流とのつながりが浮上してくるのである。

どうやら、因幡堂を舞台にした狂言は、本来大蔵流系ではなかったかという仮定が成立しそうである。おそらく、大蔵流は他流よりも多く因幡堂の境内を使用したのであって、その狂言師たちによって作られた作品群ではないかと推測される。

ちなみに、大蔵ハ右衛門虎光の記した『狂言不審紙』は、「因幡堂」と「鬼瓦」の作者を「二代之内」としている。二代之内とは、大蔵流八世金春四郎次郎と九世宇治弥太郎政信のことを指すらしい(注3)。もちろん、付会されがちなのが作者付の常であり、この説をそのまま鵜呑みにするわけにはいかないものの、大蔵流内での成立を示唆する消極的な材料にはなりえようか。

  • 注 1)『狂言記拾遺』には「ハ尾地蔵」の曲名で収録されている。
  • 注 2)曲目名の確認は、池田広司著『古狂言台本の発達に関しての書誌的研究』(風間書房・昭32)所収の「狂言曲目所在一覧」による。
  • 注 3)小林貴著『狂言史研究』(わんや書店・昭49)の記述による。

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